関西学院と阪急の関係とは/神戸乗り入れと関係?

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十三駅の地下通路には各路線の名所が書かれた案内パネルがあります。

京都線なら神社仏閣景勝地、宝塚線なら宝塚大劇場や手塚作品などが描かれており、神戸線も例外なく北野異人館といった港町ならではの名所が描かれています。

ところが、その神戸線の名所案内の中に関西学院大学が掲載されており、案内パネルのなかで大学が紹介されているのは珍しい事です。(というか観光地なのか!?!?笑)

さらにサムネイル画像のように、阪急とのコラボグッズなんてのもあります。

このように何かしら阪急と関西学院はコラボ、共同企画をすることがあるのですがどのような歴史的経緯があったのでしょうか。

関西学院大学とは

「かんさいがくいん」じゃなくで「かんせいがくいんだいがく」と読むこの大学。1889年創立のミッション系(キリスト教主義)大学と結構歴史が長く、現在は関西の難関私立大学群である関関同立に属します。スクールモットーは卒業生の方は耳タコだと思いますがMastery for Service(奉仕のための練達)。

キャンパスは西宮上ヶ原がメインで、理系学部は神戸とは言い難い三田キャンパス、一部大学院研究科は西宮北口と梅田芸術劇場のサテライトキャンパスを利用しています。

上ヶ原キャンパスはよく広報で目にする甲山を背景にスパニッシュ・ミッション風の時計台がある所で、最寄りは阪急甲東園駅若しくは仁川駅となっています。

私個人の意見としては行き(登校)は上り坂が少ない仁川で降り、帰りは下り坂の甲東園から乗車していました。

創立は王子公園付近、原田の森だった

今は上ヶ原にある関西学院ですが、創立した当初は原田の森付近で始まりました。現在の最寄り駅は阪急神戸線の王子公園駅ですね。大橋(2015)によると王子公園駅より上筒井駅の方が近かったみたいで、正門も下の写真でチャペルと書かれている場所にあったとされています。

出典画像:国土地理院https://maps.gsi.go.jp/#17/34.709934/135.212914/&base=pale&ls=pale%7Cort_USA10%7C_ort&blend=00&disp=111&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f0

国土地理院で確認するとこのような位置関係になります。大橋氏が掲載した地図を参考にすると関学があったのは青い部分と思われます。チャペルに関しては現在は文学館として内部に立ち入ることが可能となっています。

因みに大橋太郎氏は関西学院出身で、1999年ごろから阪急の代表取締役を務められていました。

原田の森で産声をあげた関西学院大学は順調に学生数を伸ばしていき新大学令も発布され、ついに大学への昇格をしようという機運が高まりました。

しかし現在の原田の森キャンパスでは敷地が狭あいであり財政的にもどうしたものかとまごついているときにとある人物へ相談しました。

河鰭 節と小林一三登場

実業家の河鰭節氏は単に関西学院高等部教授の家の隣人という関係でしたが、仲がいいという理由で教授がこの問題を打ち明けたそうです。

そこで河鰭氏から提案されたのが「ここの用地を売ることで資金を確保して、他の場所で広い用地を確保する」という考え。

さらに 河鰭 節氏はまた特に縁もゆかりもない小林一三の元へ赴きこの問題を協議したのだとか。

一応正式な取り決めとしては1928年の高等商業部長と小林一三との会談で決まったとされています。

記録によると、原田の森キャンパスを320万円で阪神急行へ売却、一方で既に保有していた上ヶ原の用地を学校へ55万円で売却するという契約が1928年の会談で行われました。差額で265万円、校舎建設費などを含めても十分な利益だったみたいですね。

阪急の思惑は何なのか

大橋氏によると、原田の森校地を320万としたのは小林一三の方だったみたいです。

阪急的には開業して間もない今津線に対して固定客、通勤とは逆向きの需要作りという思惑があったと思われます。また、学校という文教施設の設置によって沿線価値の向上を狙ったものと考えられます。この辺りは山田(2014)も言及されており典型的な小林一三の経営戦略ですね。

さらに、ここからはあくまで大橋氏の推論となりますが、神戸都心乗り入れを計画していた阪急にとって原田の森校地は高架での乗り入れの交渉として重要な土地だったのではないかという考え。

同氏によると河鰭氏と小林一三氏が会談した1926年の翌年、阪急は神戸都心への乗り入れ方式を高架式に変更しています。そして用地取得が表面化した1928年からは買収した土地を巻き込んだ市側と阪急との「条件闘争」と評されるくらい激しい妥協合戦が繰り広げられた模様です。

最終的には神戸市の妥協によって阪急が高架式で乗り入れを果たしていますが、この乗り入れを果たすために原田の森キャンパスの用地が交渉手段に用いられたという考えで、関学辞典においても述べられていますが実際に用地を貫通する道路の敷設を求められ、2,400坪もの用地を無償提供したとされています。

この様に関西学院側の大学昇格と広々とした土地の取得、阪急側の沿線開発、価値向上と神戸線の都心乗り入れというWin-Winな取引が行われたことが関係の始まりだと考えられます。

 

王子公園では再び大学誘致が行われる

その関学発祥の地でもあり現在動物園や遊園地、グランドを有している王子公園ですが、遊園地やグラウンドを廃止、移設して大学を誘致する計画があるみたいですね。

参考文献および誤謬の訂正

・大橋太郎(2015)「原田の森から上ケ原への移転 : 立役者の一人小林一三翁を中心に」※関西学院宗教活動委員会主催、125周年連続講演会による

・KGヒストリー「NO.15 移転に向けて」関西学院同窓会

・神戸新聞(2021)「王子公園内に大学誘致へ スポーツ施設再整備で用地確保

・山田浩之(2014)「都市交通事業のビジネスモデル構築に向けて 第2章小林一三モデル」都市交通研究所

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